広告のためのコンテンツ


私が、インターネットを始めたのは、今から20年前。
当時、日本の一般家庭におけるパソコン普及率は20%程度、インターネット普及率は5%にも満たない。

回線は遅いし、コンテンツはテキスト中心だったけれど、価値ある情報に出会うことも多かった。
コンテンツ量は、現在の方が圧倒的に増えているはずだが。

現在は、仕事をしている人なら、ほぼ全員がネットを利用しているといっても過言でないほどに普及し、個人が情報発信するのも簡単にできるようになった。それはそれで、素晴らしいことだが、その分、ネット上の情報は、玉石混淆となり、正しい情報を得ることが容易ではなくなった。

1記事30円程度の報酬で、次々と情報が作り出されてるって、みんな、知っているのかな?
気づいている人もおおいはずだけど。
これらは、すべて広告のためのコンテンツ。これじゃ、コンテンツの質は、ますます低下するよね。広告とは、ものやサービスを「買わせる」ためのものなのだから。

30円という報酬が適正かどうかの判断はしないが、30円は、やはり30円の価値ではないか?
小綺麗にまとめられていても、ライターの「伝えたい!」という熱い思いが伝わってこないと感じる。だから、私は、なんだか、しらけてしまう。

それでも、そういう仕事が成り立つってことは、それなりに広告効果があるからってことか。つまり、閲覧する人がいるってことね。

検索エンジンは、真に価値のある情報を検索上位に表示してくれるとは限らないのだ。
無料のツールを使って、質のよい情報を手にいれる、なんて都合のよいことはないことを理解しておくべきね。

いいように使わされる人(=操作される人)から、うまく使いこなせる人に、変わらないと。
それには、自分自身が、情報の真偽を判断できる能力を持つこと。
そういう感覚を磨くには、意図的に情報をシャットアウトして、自分が何を、どう感じるかを、しっかり見つめてみることが大切じゃないかと思う。