我慢の限界


1月末に、オトコを追いかけて(?)、南米チリに行ってしまったYちゃん。

3〜4年前にも一度行って、今回は2回目。前回は言葉も通じず、現地にも馴染めず帰国。

今回、現地到着後3日で、すでにホームシックの彼女だったけれど、2ヶ月が経過するタイミング(3月末)にメッセージが届いた。

Y「もう限界」

私「え〜、限界???なにが、あったん???」

YC「いろいろと日常の…。でも、私の我慢が足りないのか、我慢できなくて当然なのかわからない…」

彼女の話を要約すると、

「南米まで来て、彼だけが頼りなのに、彼との会話の中で、尊重されたり、共感されたりする感じがなく、ささいな意見も、すべて押さえつけられる。

今まで、自分で働いて、自分の意見を通してきただけに、余計につらい。
さみしいとかではなく、人に頼らないといけない自分がふがいない、くらいな感じ。

こんな遠くまで来ているし、簡単には根をあげられない。
でも、妥当な我慢のラインがわからない〜」

ってことらしい。

結局その日は、あと1ヶ月(計3ヶ月間)は頑張ってみるってことで落ち着いた。

YCちゃんは、もともと、我慢が足りない!と言われることが多かったらしく、どれくらい我慢すればわからなくなったようだ。

 

私は、「我慢はムダ」と言ったんだけど…。(これも母の受け売りではあるが。)

 

「我慢」という言葉が、自分自身を抑制し、耐える、辛抱するという意味あいで使われるようになったのは近年のことで、元々は、我慢は仏教の煩悩の一つ。強い自己意識から起こす慢心のことを指す言葉だったそうだ。

「我慢」しているときは、その根底には不満があって、我慢には、精神的苦痛を耐えている自分が好きみたいな部分が、なきにしもあらずではないか?と私は思う。

 

私が離婚するかどうかというときに、母が「我慢は無駄」と言ったわけは、今もってよくわからないが、所詮、元旦那と私は合わないことをわかっていたからかな?

まあ、それはともかく、ただ我慢しながら待つのではなく、どうしたらブレークスルーできるのか?とポジティブに考えられる人になりたい。そうすれば、同じ状況も、全く違って見えてくるはず。

ただ、自信をなくしているときや、体力的・精神的にダウンしているときは、頭ではわかっていても、なかなかできないのも事実。
そんな時には、自分の恥ずかしい部分も弱さもなにもかもさらけ出して話ができる友達や家族がいることってありがたいことだなと最近、つくづく思う。

 

そんなYちゃんが、来週帰国するらしい。
はてさて、どんな結末になったのか・・・乞うご期待。