小学校の林間学校で高野山の宿坊に泊まったとき、私たち小学生相手に、ベトナム戦争について熱く語る大学生がいた。内容は覚えていないが、私も大学生になったら、こんな話をしたりするんだろうか?と思ったものだ。
中学生の頃は、テレビで学生運動を見て、「高校生になったら、ヘルメットかぶって角材を持って、戦わないとダメなんやろか?痛そうで、イヤだ〜」と思っていた。
ヘルメットをかぶるという時点で、今風に言えば、女子力欠如。そうはなりたくない!と思ったが、勉強のできない中学生なんて、簡単に洗脳されるところもあり、時代が時代なら、角材もってやっていた可能性も否めない。
そして、高校に入ったら、何にもなくなっていた。
これが「三無主義(無気力、無関心、無責任)」らしい。その後、1950年〜1960年生まれは「しらけ世代」と呼ばれるようになる。
私は時代に呼応して、何に対しても無気力、無関心だった。勉強にも、クラブ活動にも、何にも熱くなることもなく過ごした高校時代。刺激がなく、毎日がつまらないと思っていたし、なんか、暗かった。
その時代の人が、今も、無気力、無関心、無責任というわけではない。多感な時期を過ごした時代がそういう時代だったというだけだが、それでも、いろんな影響は受けていると思う。
この時代は、2歳違いでも、経験や価値観にかなりの差があったように感じる。2歳上の人はものすごく大人に見えたし、一方、2歳年下の妹たちともカルチャーが異なる。
私の周りの4〜5歳年上の男性(62-3歳)は、みな、頭が良くて、話も面白いのだが、最近、彼らは「自分を変えない(変える気がない)」人が多いと感じている。もう少し上の、団塊世代のおじさまとも違う。自分勝手というのとも、協調性がないというのとも違う。
うまく言い表せないが、私より一歳年上のNR氏に
「60歳を過ぎたら、私たちも、あんな風になるんでしょうか?
私はそうはならないように注意しようと思う」と話をしたら、
「1950年代生まれでも、昭和20年代と30年代では、全然、違いますよ。ボクたちは、ああいう風にはならないですよ。」
NR氏曰く、彼らは「自分基準・自由自在」という、どこかの英会話スクールの宣伝文句と同じらしい。
確かに「自分基準」なのだ。それが許される年齢と立場もあるだろうが、周りは何かと大変ですねぇ〜。ね?
男性と女性では柔軟性も違うだろうが、私は「変えるべきところは、変わる努力をする人」でありたいと思う。
頑固になったら、ぜひ、注意してほしい〜